2011年2月22日火曜日

スペイン語が英語を超えた日〜思考と言語〜


東京外国語大学スペイン語科卒業。。。という一見「外国通」っぽいタイトルとは裏腹に、13年前マドリードの空港に降り立った時の私のスペイン語はかなりひどいものだった。4年もの間いったい何をしていたんだろう?とかなりへこんだ時期もあった。日常生活を送るのに不自由を感じたこともあった。人に会うのが面倒なこともあった。自分の言いたいことが上手く伝わらない時のもどかしさ、相手が何を言っているのか全く分からない恐怖感もたくさん体験した。今思えば、闘いの毎日だった。

いまでこそ、日本語を話さない日はあっても、スペイン語を話さない日はないから、さすがにスペイン語で話すのが億劫ではなくなった。でも、読書に関してはスペイン語より英語、とつい最近まで思っていた。事実、この13年間を振り返ると、英語で読んだ小説はたくさんあるのに、スペイン語ではほんの僅かだ。

スペイン語は毎日使っているとはいえ、今の生活の中では英語だって日本語よりは使っているし、学習をはじめた年齢も、学習期間も、圧倒的に英語の方がスペイン語より長いから、それは当然だと、漠然と思っていた。

でも最近、ふとした拍子に、自分の英語のアクセントが気になった。イギリス人に囲まれて話していると、イギリスアクセントに引っ張られ、アメリカ人と話すと、アメリカンになる。私の知り合いの中には、イギリスとアメリカのアクセントを自由自在に操って、話す相手によって器用に使い分けている人もいるが、私の場合は決してそうではない。

一方で、スペイン語の場合は、ちょっと事情が違うことにも気がついた。メキシコ人と話しても、アルゼンチン人と話しても、ペルー人と話しても、私のちょっとアンダルシア訛りのカステジャーノはアクセントが変わらないのだ。

気になりだすと、色々気になる。
ひとりで考え事をする時は何語で考えているんだろう?
夢の中では何語で話しているんだろう。。。?

考え事をする時は、考える内容について考えているから、自分が何語で考えているかを考えている余裕がない。でも今朝「まず洗濯物を干して、その後ゴミ捨てをして、それから郵便局に行こう」という予定を、スペイン語で考えていたことに、ふと気がついた。誰と話すわけでもなく、声に出すわけでもなく、ひとり頭の中で考えているわけだから、何語でもいいはずなのに。どうやらスペイン語で考えている、らしい。

人間は、思考する時には必ず言語を用いるという。私はバイリンガルではないし、私の母語は日本語だから、英語もスペイン語も、どんなに一生懸命頑張っても外国語という枠を超えることはない。それなのに、スペイン語でものを考えているという事実は、興味深くあると同時に、重く受け止めるべき問題でもある。なぜなら、語彙力も表現力も日本語と比べれば遥かに劣る外国語で私の思考が構成されるということは、私の思考の範囲と深さが、たとえ無意識のうちにとはいえ、極端に狭まることを意味するからだ。

ところで、気づいてみればこういうちょっとした予定さえ、英語で考えることは普段ほとんどない。読書に関しても、スペイン語で読むのはちょっと苦手、というレッテルを自分に貼り付けていたのかもしれない。実際、去年は一気にスペイン語での読書量が増え、スペイン語で読む楽しさが分かって来た。新聞、雑誌、小説、そして実用書を読むにしても、以前のように「身構え」ることなくなった気がする。この13年の間に、自分の中でスペイン語が英語を追い抜いたことは、どうやら事実のようだ。

でもここで大事なのは「スペイン語で用が足りるんだ」と思い違いをしないこと。私の母語は日本語で、それ以外あり得ないということの再認識。日本語の読書量も増やして、奇麗な、正しい日本語を使うように気をつけること。さらには新しい言葉の流れにも、取り残されないようにすること。ネットを見ていると、時々全く意味不明の日本語が出て来て焦ることがある。自分は絶対使わないような若者言葉さえ、意味ぐらいは知っていた方が絶対にいい。



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