スペイン生活も、10年を超え、だんだん自分の感覚がかつて日本に住んでいた頃と違ってきたことに気づきました。日本の昔からの友達や、初めて会った日本人に、「真理子って日本人離れしているよね」と言われるのには慣れっこになりましたが、それが必ずしもいい意味だけではないことを、長年の経験からようやく学びました。
海外に住むようになると、日本を客観的に見ることが出来るようになり、その分日本の良さも悪さもはっきりと見えてきます。日本人的な感覚やものの運び方が、時に非合理的、非生産的に見えることがあるのも事実です。その反動で(?)スペインへ来た当初は、スペイン流ばかりがよく見えてしまい、一気に「スペイン化」したことは否めません。
でも、10年という長い月日が経ち、少し落ち着いてくるとやっぱり日本人としての古き良き伝統やしきたり、立ち居振る舞いや感覚は失いたくないな〜、と思うようになりました。この10年間の間に私の中に生じた変化を振り返ってみました。。。
1:電話の時にお辞儀をしなくなった
これは、まだ日本に住んでいた頃、私の実家にアメリカ人の女の子達が家ホームステイに来た時に彼女達に言われて気づいたことでした。「電話の先の相手はお辞儀しても見えないのに」。たしかに、そうだな、とは思いましたが、相手を慮る素敵な習慣だと感じていました。それなのに、スペイン生活の中でいつのまにか、電話越しにお辞儀をしなくなっていました。。。
2:手みやげを渡す時に「つまらないものですが」と言えなくなった
これって、実はとても日本的な発想なんですよね。昔、スペイン人に同じような表現を使ってプレゼントをしたら、変な顔で見つめられたのを覚えています。なんで「つまんないものをくれるの?」と思ったのでしょうね。。。スペインだったら「あなたのことを考えて選んだの。気に入ってくれるかしら?」みたいな言い方が一般的です。必要以上にへりくだる必要はないと思うのですが、基本的な考え方は自然と態度にも表れるので、再確認したいと思いました。
3:自ら進んで10分前行動をしなくなった
定時に着けばOKみたいな感覚がすっかり身に付いてしまいました。第一、スペインにいたら仕事上でもプライベートでも、遅れてくる人はいても時間前に来ている人はほんの僅か。それでも当初は10分前行動を常に心がけていましたが、毎回待ってばかりだと、損した気にもなってしまいます。。。でも、これを日本で当てはめてしまうと大変!この辺りは、きっちり区別していきたいですね〜(難しい)。
4:「すみません」の回数が減った
これは、人に謝らなくなった、という意味ではなくて、謝罪以外の場面で「すみません」を連発しなくなった、という意味です。スペインへ来て当初は、プレゼントをもらっても「lo siento(すみません)」自宅をわざわざ訪問してくれた人にも「lo siento」ドアを開けて押さえていてくれる人に「lo siento」。。。フアンさんにも「lo siento」を連発していたので、「なんでいつも謝ってるの?」と素朴な疑問を投げかけられました。そうだね、こういう場面では「gracias(ありがとう)」だね。頭の中では「すみません」をそのままスペイン語に訳していた私ですが、スペイン語で「すみません」の回数が減ると同時に日本語でも同じ場面で、「すみません」より「ありがとう」の方が先に出るようになりました。
5:話す時のジェスチャーが大きくなった
これは、妹に言われて数年前に気づきましたが、はい、確かに話す時にジェスチャーが大きくなっています。スペイン人は皆ジェスチャーが大きいし、ジェスチャー自体に話の内容や感情のレベルを補足する意味があったりするので、皆手をブンブン振り回し、表情もコロコロ変えながら話をします。スペイン語を話す時にこれをしないと、「timido/a(恥ずかしがり屋)」と思われるか、つまらないと思われてしまうのが相場です。でも、これを日本語で話す時にも応用してしまうと、相手に必要以上に威圧感を与えてしまったり、外国かぶれしていると思われがちです。大袈裟にしようと思ってジェスチャーが大きくなるのではなく、もう身に染み付いた習慣みたいなものなんですが、これも上手く使い分けをしたいことの一つです。
6:ティッシュペーパーの2度使い
うわっ、汚い!と言うなかれ。スペインのティッシュペーパーって、紙ナプキンみたいに分厚いのです。だから、スペインティッシュで鼻をかんでも、まだ充分使える程丈夫なので、スペインの人は鼻をかんだティッシュをまたポケットにいれて、次回に備えます。確かに、1値度使っただけで捨ててしまうのはもったいないので、私も2度(以上)使いします。でも、これと同じことを日本でもしてしまい、家族のひんしゅくをかいました。。。日本の薄くて肌にも優しいティッシュは2度使いにはむいていませんね。
7:なんでも日本と比較
外地に住むひとなら、誰でもそうだと思いますが、住んでいる国で何か気に入らないことがあると、「日本だったらこんなことないのに」とついつい思ってしまいます。それ自体は良いのですが、この比較論が行き過ぎると、日本の姿を買いかぶってしまい過ぎることもあり、一時帰国で日本へ行った時にショックを受けることになります。たとえば、スペイン新幹線AVEの中で平気で大声で携帯電話を使っている人をみて、「あ〜、日本の方がマナーがいいよな」と思っていましたが、一方で日本では、電車の中で平気でお化粧をしたり、電車の床(?)に座り込んでいる学生さんたちを目にした時はショックでした。
8:日本に対する興味が増した
これは、超メリットだと私は思います。日本にいた頃はいつも欧米の文化や芸術にばかり気を取られていたし、高校の歴史選択ももちろん世界史、学生時代にお金がないにも関わらず旅行といえばヨーロッパ、という図式が成り立っていたのも、ひとえに単純な欧米崇拝の観念からだと思います。スペインに住むようになってから、それが一転し日本の伝統芸能や歴史、習慣や風習、日本語そのものでさえも、興味の対象になりました。さらに、一時帰国の折にたいてい1泊で出掛ける温泉旅行が何よりも楽しみ。日本って、素敵です。
9:店員の態度が悪くても気にならなくなった
スペインの誇るデパート、エル・コルテ・イングレスでさえ、店員の方々は客がどうしようとおかまいなく、たいてい3−4人でおしゃべりに夢中になっています。お会計をお願いしたい時は「あの〜お話中断して申し訳ないですが、お会計いいですか?」とこっちが頭を下げなくちゃいけないような状況も多々。昔はこの態度がどうしても許せなかったのですが、気づいてみると腹も立たなくなっていました。「お会計してくれる?」と気軽に言えるようになりました。一方で、日本でお買い物にでかけると、コンビニでも店員さんが丁寧で嬉しくなります。以前、自動販売機にまでお礼を言われてビックリしたこともありました。
10:指定時間通りに郵便物や宅配が来なくても腹が立たなくなった
去年の暮れに、8年目にして洗濯機が壊れました。前出のデパート、エル・コルテ・イングレスで洗濯機を購入。指定された配達日に一日中洗濯機を待つも、音沙汰なし。仕方なく翌日、店に電話をかけてみると「ああ、あれは、そうね。昨日は届かなかったのね。じゃあ来週になるわ。あ、でもちょっとまって、クリスマス休暇が入るからその次の週ね」『あの〜、洗濯機がないと結構困るんですよ。何とかなりませんか?』「そうね。ああ、じゃあ明日、届けますよ」『あ、本当ですか?何時頃になります?』「う〜ん、時間の指定は出来ませんね。でも18時前には届くはずです」『分かりました。じゃあ待ってます』。そして翌日。待てど暮らせど洗濯機は届かない。再度電話をかけると「ああ、今日は配達がありませんよ」『。。。』「明日また電話して確認して下さい」『え?私がかけるの?』その夜のこと。深夜11時過ぎにチャイムがなり、開けてみると門の前には宅配の人が笑顔で「君の洗濯機だよ!」と。それから、古い洗濯機を取り外し、新しいのを取り付け。。。終わる頃には日付も変わろうとしていました。。。でも、そこには不思議に腹が立っていない自分がいるのに気づきました。
こうして書き出してみると、必ずしもマイナス面だけではないかもしれませんが、両方の国のいいとこを取入れながら生きていくか、悪いところをフォーカスしてどちらの国に対しても不平不満を言って暮らすかは、最終的には、自分次第なんですね。とはいえ、スペインにいれば私の態度や行動が「日本人」のそれと認識されてしまうことも事実ですから、日本人として誇りを持って、恥ずかしくない生き方をしたいと思います。
*今日のことわざ*
Donde fueras, haz lo que vieras.
(どんで ふえらす あす ろ け びえらす)
行った先々では、見たことをまねよ=『郷に入っては郷に従え』
スペインではスペインらしく、日本では日本らしく振る舞う中から、自分らしさを見いだしていければ素敵だと思います。
日本ブログ村のランキングに参加しています。
よろしければ、応援の1クリックお願いします!