2011年1月13日木曜日

ホアキン・ロドリーゴ


写真:ホアキン・ロドリード展示会のパネル

  スペインを代表する作曲家、ホアキン・ロドリーゴは、バレンシアの出身ですが、1939年から1999年にその生涯を閉じるまで、マドリードのテトゥアン地区に住んでいました。それを記念して、テトゥアン地区の文化センターが、ホアキン・ロドリーゴの名を冠した音楽ホールの除幕式があり、ホアキン・ロドリーゴの娘のセシリアさんに招待され、行ってきました。ホールの入り口のスペースにホアキン・ロドリーゴの生涯を紹介した展示会が同時開設されていました。


写真:『アランフェス協奏曲』の逸話を説明したパネル


ホアキン・ロドリーゴの名を世界に広めることになった作品が『アランフェス協奏曲』。オーケストラとギターの為に書かれた作品ですが、彼自身はギターを弾いたことはなかったそうです。中でも有名な第2楽章は亡くなった息子さんへの追悼の意味をこめて作曲されました。哀愁をたたえたこの美しい旋律には、そんな思いが込められていたのですね。


写真:ロドリーゴ一家とレジーノ・サインス・デ・ラ・マサ

レジーノ・サインス・デ・ラ・マサは、1940年の冬、『アランフェス協奏曲』を初演したギタリスト。ホアキン・ロドリーゴの親友でもあり、この協奏曲は、彼に捧げられています。

写真:盲目の作曲家の作曲方法とは?について展示されたパネル

ホアキン・ロドリーゴは、盲目の作曲家としても知られています。3歳の頃ジフテリアの後遺症で完全に視力を失いました。その後8歳で音楽の勉強をはじめたそうです。私の兼ねてからの疑問は、どのようなプロセスで作曲していたのか、ということです。この展示会の説明でよ〜く分かりました。


写真:ロドリーゴが実際に使っていた作曲用タイプライター

このタイプライターは、ロドリーゴが開発した、世界で初めての楽譜浄書用のタイプライター。音符や音楽記号を全て、彼が開発した点字によって記譜し、それを専門のコピーライターによって通常の五線譜に「翻訳」していたそうです。

写真:ロドリーゴが訪れた国々

まだ海外旅行が一部の人の特権だったころから、ホアキン・ロドリーゴは、妻のビクトリアさんと世界中を飛び回っていました。主な旅の目的は、当地での『アランフェス協奏曲』の演奏を聴く為だったとか。

写真:1973年来日時のポスター

最初で最後となった日本訪問は1973年のこと。新日本フィルが『アランフェス協奏曲』を演奏してるのがわかります。


写真:NASAの保証書

写真に写っているCDは、なんと月まで旅して来たことを証明するNASAの保証書。彼の音楽は宇宙まで届いたんですね。スゴいことです。

今年は、カニサレスがベルリンフィルと『アランフェス協奏曲』を演奏します。今からとても楽しみです。





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