私たち夫婦の間での公用語はスペイン語ですが、最近は時々日本語も使えるようになってきました。フアンさんはミュージシャンなので耳が非常によく、私の日本語の発音を上手に真似てくれます。
本人も、日本へはしょっちゅう行くし、日本語や日本の文化について興味を持ってくれているので、いろいろ説明してあげるとどんどん覚えてくれる。それがとても楽しいのですが、私にとっては考えてもみなかったようなことを質問されて、こっちが戸惑ったりすることもよくあります。
フアンさんの指摘によると、まず日本語は音的表現が多い。感情や状態といった、そもそも言語でないものを音のようなもので表現している、というのです。そういわれてみれば確かにそうなんですよね。
例えば『キラキラ』や『ピカピカ』をスペイン語に訳すのってなかなか難しいのです。「光っている」としか言いようがないし、このふたつの言葉の違いを説明するのは、至難の業です。宝石や星が光る時はキラキラ。奇麗に磨かれた床はピカピカ?こんな説明ではおぼつきませんよね。。。
雨の降る様子も、『パラパラ』『しとしと』『ザーザー』『ザンザン』と様々ですが、『パラパラ』と『しとしと』の違いの説明も難しい。どちらも少しの雨が降っている様子だけど、日本人なら皆、感覚的に違う情景が思い浮かびますよね。また、池に石を投げたとき『ポチャン』『ボチャン』『ボトン』の違いで、投げた石の大きさが想像出来る。これをどう、スペイン語で説明したらいいでしょう?そもそも、私たちはどうやって日本語を覚えて来たのでしょう?
でも、不思議に意味がすんなり通じることもあります。『よいしょ』という言葉をフアンさんに教えてあげたのはもう数年前。私が時々使うのを聞いて、どういう意味かと聞いて来たのが始まりでした。重たいものを持ち上げたりする時に使うかけ声みたいなものよ、と説明したら、納得して、自分でも思いものを持ち上げる時に使いはじめました。ギターを手に取る時にも「よいしょ」というので、「それは、重くないでしょ?重くないものに『よいしょ』って言ったらまるでギター弾きたくないみたいだよ」と言うと「まさに今、ギター弾きたくないんだ。ということは、これは『よいしょ』の正しい使い方なんだね!」これには私もビックリ。言葉の本質に迫っているではありませんか!もうひとつ『よいしょ』で私が驚いたのは、フアンさんが、両手にたくさんの本を抱えて階段を上がっていった時のこと。一段ずつ「よいしょ、よいしょ」と言いながら小走りにかけていくのです。ちゃんと応用出来てる!
この用法も◎です。
よく考えると、日常生活の中にたくさん擬態語は潜んでいます。気づかずに使っていることもあるはずです。『ドキドキ』する、『ハラハラ』する、頭が『ずきずき』痛む、胃が『しくしく』痛む、胃が『きりきり』痛む、『にこにこ』笑う、『ぐずぐず』する、『よぼよぼ』になる、『よれよれ』の服、『ぴんぴん』している。こういった表現は日本語特有なのかな?と思います。どうなんでしょう?きわめつけは、『しーん』と静まり返る。という表現。静か過ぎる程静かな状態よ、と説明したら大笑いして「じゃあなんで音があるんだよ!」。それもそうなんだけど。。。
動物の鳴き声のような擬音語は各言語に存在しますが、日本人の私の耳には、犬はワンワン、ニワトリはコケコッコーとしか聞こえません。ちなみに、スペイン語で動物たちはこのように鳴きます(笑)。
犬:guau(ぐぁう)
猫:miau(みゃう)
ニワトリ:kikiriki(きっきりきー)
羊:bee(べー)
牛:muu(むー)
あひる:cuack cuack(くわぁく・くあっく)
豚:huik huik(うぃっく・うぃっく)
ちなみにネズミの『チュー』は、あまり一般的ではないようで、人によって鳴きまねが違います(笑)。
もうひとつの指摘は、数の数え方が難しい!ということ。これは確かに言えてます。鉛筆は1本2本、紙は1枚2枚、車は1台2台、靴は1足2足、コップは1杯2杯。日本語って豊かですね。「本」や「枚」をつけることで、ものの形状がすぐ思い浮かぶと言う利点があるのよ、というと、『じゃあ、ストローやギターの弦は鉛筆と同じく「本」?』そのとおり!魚は1匹2匹、でもクジラは1頭2頭。「そっか、大きさによって違うんだね。」そのとおり!でも、これってほ乳類だからだっけ?私の説明もかなりあやふやです。
また別な指摘は、子供の歌が非常にリズミックという点。「クラリネットをこわしちゃった」のパッキャマラドの部分や「ウンパッパ」、手遊びの「アルプス一万尺」「線路は続くよどこまでも」などにじっと耳を傾けます。「おちゃらかほい」「お寺の和尚さんがカボチャの種を蒔きました。。。」や「ずいずいずっころばし」「ゆびきりげんまん」は、もう一緒に遊べます。「せっせっせのよいよいよい」ってどういう意味?という質問の答えはまだ見つかっていませんが。。。
*今日のことわざ*
Experiencia es madre de la ciencia.
(えくすぺりえんしあ えす まどれ で ら しえんしあ)
経験は学問の母。たくさんの経験から学問が成り立つ、という意味ですね。でも、いくら経験しても鶏が「きっきりきー」と鳴く日は来ないような気がします。。。